Category : 2012 Live

15:33
テコ・パラ・ミ・パイス協会に24万ドルの寄付
大会総監督のエチエンヌ・ラヴィニュはコピアポでの休息日、ASOを代表して、現地のNGOテコ・パラ・ミ・パイス協会に14万USドルの寄付金を贈呈した。同協会は南米大陸全土で、貧しい人にユニット・ハウスを建てる活動をしている団体。そして、2011年大会で総合優勝したナセル・アルアティヤが、NGO活動の一環として、二つ目の小切手10万USドルを寄贈した。エチエンヌ・ラヴィニュは、この寄附金はダカール・ラリーの“全員の気持ち”で、皆心優しい人なんだと強調した。

ユベール・オリオールとシリル・ヌヴーの二人のライダーがダカールまで壮絶なバトル。トンブクトゥからネマに向かうステージで二人のバトルが始まった。このステージでは勝敗がつかなかった。
最終日の前日、サン・ルイのSSゴールでヌヴーが優勝した。彼の通算5度目、そして最後のステージ優勝だった。

初めてパリダカはテネレ砂漠を通過する。未踏の砂の大海は、競技者にとっても観衆にとっても垂涎の的だった。が、憧れは、一部の競技者に悪夢と替わった。アガデスにゴールできた競技者は一握りしかいなかった。

1980年、パリダカで“砂漠のキツネ”とあだ名されていたマロー兄弟、4ltエンジンを自分達で改良したプロト車でエントリーした。パワフルなクルマを送りこんで優勝を狙うワークスチーム・フォルクスワーゲンIltisに対し、この二人のプライベーター車は最後まで果敢にトップをひいた。そして、ベルナールとクロードの二人の兄弟は、何度もステージ優勝をしながら、最後は総合3位、パリダカ史に残るスピリッツを示した。しかし、翌年もステージ優勝しながらリタイア。二人が優勝できたのは1982年、1度だけだった。

1979年秋、パリダカ第2回目の準備をしている時だった。ロード・ブックを作る為のティエリー・サビーヌはシトロエンCXで、3人の現地の遊牧民と踏査旅行をした。少し予定のコースを外れ、一行はアルジェリア、モーリタニア、ニジェール、オートボルタ(ブルキナファソ)を通過してセネガルまでの旅だった。

ティエリー・サビーヌの常軌を逸したアイディアがいよいよ実現、1978年12月26日、エッフェル塔の元に競技者が集まった。アビジャン~ニースのラリーに参加している時にサハラ砂漠と出会い、その時の感動を一人でも多くの人と分かち合いたいと、パリ・ダカール・ラリーというアドベンチャーを思い立つ。以降、「挑戦したい人は参加しよう、夢でいい人は家にいるがいい」という本質は、現在でも変わらない。

本当に、戦いだった !
第7ステージのゴールに姿を現したアラン・デュクロ(Aprilia)、それは神話のようだった。バイクの“残骸”に乗って、真夜中ゴールに着いた。マリ系フランス人、デュクロはその日SS初め、ラジエター・ホースが壊れ、アシスタンス・クルーと連絡をとろうとした。フロントカウル、シート、メイン・タンクが欲しいと。しかし、ストックが既に無くなっていた!

「バイクはずたずたになってしまったが、かろうじてまだ動いた。シートは、現地人が自分が乗っていたモトクロスのものをはずして譲ってくれた。それをバイクにくくりつけてなんとか乗れるようにした。SSを再スタートしたのは17時ごろ、一晩中走った。バイクをだましだまし走った。しかし、夜中デューンの中をたった一人で走るって、本当に“戦い”だ。2,3回こっぴどく転んだりしたし、スタックは何回したかわからない。でも、絶対にリタイアしたくなった。何が何でもペルーに行きたいと思っていた。」

デューンの中で一泊
昨年の、エミリアノ・スパタロ(Emiliano Spataro)はBuggy MacRaeで初めてダカール・ラリーに出、37位で完走した。アルゼンチンの有名なサーキット・ドライバーの彼は、ダカール・ラリーで様々な初体験をした。コピアポのループステージの日、ゴール手前には大きなデューンがいくつも立ちはだかる。彼がビバークに到着したのは翌朝8時。
「トランスミッションのパーツが壊れ、我々だけで修理するのに3時間もかかった。再び走り出したのは16時30分。コースは既に荒れてとても走れたものではない。カミヨンが何台も立ち往生してほとんど勧めない。砂はカミヨンに掘り返されてとても柔らくなっていた。我々はゆるゆると進んだ。CP3を過ぎて、すでに真夜中、小さなデューンを抜け出たところで、ジャンプしてクルマのノーズからデューンに突き刺さってしまい、ヘッドライトが壊れてしまった。そこで、日が明けるのを待って、ここで一晩過ごそうということになった。ゴ-ルまでは後30km。朝6時に再びスタートして、そのステージを19時間かかって走り終えた。単なる車のスピードを競うだけではなく、状況との戦い、そういうダカール・ラリーってすごくいいねぇ。」

36 年やってきて初めて !
オート部門のオフィシャル協会の代表、ジョセフ・ベソリ(Josep Besoli)は、今でも、昨夜の話をすると鳥肌が立つ。競技者が、外部からのアシスタンスを受けたと白状し、リタイアを申し出てきたのだ。ブラジル人のカミヨンのパイロット、ギルエルム・スピネリ(Guilherme Spinelli)だ。「チームマネージャーから明朝、順番通りスタートするよう命じられた後、15分後、私のところに、不当なアシスタンスを受けた理由でリタイアを申し出る書類を持ってきた。SS上でオルタネイターが故障し、そこにいた現地人に修理してもらった。彼は目にいっぱい涙をためながら 「ダカール・ラリーをズルして完走することはできない。正直なことが何より優先で、私のモチベーションが第1だ。」というのだ。毎日私が立ち合っていることと全く逆だ。正直、来年、彼がまたダカール・ラリーに出てくれたら素晴らしい。それこそがダカール・ラリーのスピリッツだから。全部の競技者の良い例になる。」

オフィシャルが理解あるよう願っている…
Toyotaのゼッケン471がフィアンバラのステージを終わったのはかなり遅くなってからだった。ペルー人のガブリエル・ペシエラ(Gabriele Peschiera)とホルヘ・マッチュラー(Jorge Mutschler)にとって、タイムの問題ではない、彼らにとって重要なのは、明日再び競技を続けられるかどうかなのだ。「SSの初め、ともかくたくさんの観衆がいた。彼らが指さす通りに走るとウェイ・ポイントを外すことになってしまう。彼らのせいで、既に4つのウェイ・ポイントを外してしまった。だからそのリスクは冒すまいと思った。その後、コースがわからず、何度も何度もUターンを繰り返し、ゴールまでものすごく時間がかかってしまった。オフィシャルが寛容で、明日私達が再スタートできるよう認めてくれるといいんだが・・・。何といっても、ゴール手前でギアボックスを壊し、3時間もかかって修理したんだ。なんとかレースを続けたい。少なくともペルーに入りたい。」オフィシャルが彼らを失格にしないよう、彼らの意思は理解されたようだが・・・・。

シーッ, ガソリンと初めての苦役
トライアルで11回のタイトルをとっているスペイン人、ライア・サンス(Laia Sanz)。彼女は昨年初めてダカール・ラリーに出た。そして、総合45位と華々しいデビューで周りを驚かせた。今年のダカール・ラリーは昨年以上に充分準備してきたつもりだが、大会1週目で、酸いも甘いも体験した。
「今日の第4ステージは最初はすごく調子良かったのよ。昨日35番目でゴールしたから、良いスタートができた。SSを走っている時、石にぶつかってコントロールを失って転んでしまったの。右手を軽くケガしただけで済んだけれど、石だらけの路面だったので燃料タンクに穴があいてしまった。そして、ゴール手前30kmでガス欠でストップ。そこにマルク (コーマではない、マルク・ガッシュGuash)がやって来て、私のキャメル・バックのチューブで、彼のタンクから燃料を入れてくれた。それで、86番目にゴールできたのよ。」1時間タイム・ロスしたライダーは明るく語る。そこに追い打ちをかけるように、ウェイ・ポイント2つをはずして40分のペナルティ。「実際、ウェイ・ポイントの100mのところを通過しちゃったの。悔しいわ。だって、(明日のスタートが後ろなので)後ろの方を走るとどのワダチを追えば良いのかわからなくなってしまうし、オートにも追い越されるのよ。」ともあれ、次の週にかけてモチベーションは高い。

ダカール・ラリーで魂が浄化される
FJ CruiserでエントリーしているゼッケンNo.473、ホアン・ディボス(Juan Dibos)は、白髪交じりの、背が高いペルー人。今回初参加で、コ・ドライバーのグスタホ・メディナ(Gustavo Medina)と共に周到に準備をしてきた。「実際、最初の3つのステージは好調だった。ダカール・ラリーって人が言う程難しくないと思い始めていたほどだ。
そして今日第4ステージのゴールに、最後尾119番目に着いた。「少し順位を上げようと慾を出したら、何もかもが上手く行かなかった。2km先を走るモトのライダーを追い越そうとした時、穴に足をとられた。車はジャンプして、頭からルートの道端に突っ込んだ。泥にはまって、動けなくなってしまった。現地人が30人ほど集まって、そこから引っ張り出すのを手伝ってくれた。結局、3時間もかかって、引っ張り出したが、オイルがシリンダーの中に入って、クルマのエンジンがかからない。ディエゴ・ウェベール(Diego Weber)のお陰でなんとか再び走り始めることができたが、間もなく日が暮れ、しかもフェシュフェッシュのコーナー。アルゼンチン人のアンドレス・ジェルマノ(Andrès Germano)と一緒に、オフロードを、コ・ドライバー達が歩いてコースを選びながら進んだ。ビバークに着いたのは午前1h00。これが本当のダカール・ラリーだとわかったよ。厳しいと魂が浄化されるんだね。」