Category : 2012 Live

2012/02/12(日)にお台場のメガウェブで開催された「ダカールラリー2012トークショー」の映像です。
Part1:HINOチーム菅原のドライバー&ナビゲーターのトークセッション
Part2:TeamLandCruiser1号車のドライバーとメカニックおよび監督のトークセッション
Part3:TeamLandCruiser2号車のドライバー&ナビゲーターと監督のトークセッション
Part4:ダカールラリー2012に参戦したドライバー4人にスポットライトを当てたトークセッション
 
Part1:HINOチーム菅原のドライバー&ナビゲーターのトークセッション

 
Part2:TeamLandCruiser1号車のドライバーとメカニックおよび監督のトークセッション

 
Part3:TeamLandCruiser2号車のドライバー&ナビゲーターと監督のトークセッション

 
Part4:ダカールラリー2012に参戦したドライバー4人にスポットライトを当てたトークセッション

 

他の競技者のトラブル
エクストラ・ハード・レベルの困難。フィリップ・ロー(Philippe Raud)は今年、かつて体験したことの無いチャレンジをしている。他3台のクイック・アシスタンスという。それ以来、レースの他にいろいろやらなければならないことが山積み。彼のクルマだけでも既に不運が山積みだというのに・・・。
「最初の週は毎日どこかしらトラブルがあった。大事な砂丘ステージではライト無しで一晩中走った。ビバークに着いたら、ダヴィッド・キャステラ(コース・ディレクター)に褒められた。」
ゼッケン400、フランス人フィリップ・ローとコ・ドライバーのパトリス・サンマルク(Patrice Saint Marc)。「我々のクルマのトラブルがやっと落ち着くと、こんどは他のクルマがトラブルだ。我々は毎晩修理をするのに外で過ごした。アレキパのステージではジェラルド・モニエール(Gérald Mognier)のクルマを、SS2パーツの間ずっと牽引しなければならなかった。それは果てしもなく時間がかかった。」最後、彼は、これほどまでに大変なチャレンジが待っていると思っていなかった。
「こんなやり方でダカール・ラリーを楽しもうと思っていたが、もう2度とやりたくない。今までやってきた中で最も辛かった。と同時に、最後尾のほうを走りながら、ダカール・ラリーのもう一つの一面を見ることができた。

ベローステギ兄弟
ルイス・バローステギ(Luis Belaustegui)は兄のホアン・マヌエル(Juan Manuel)と一緒にダカール・ラリーに出ている。ナスカ→ピスコのSSのkm20で弟ルイスの夢がはじけた。昨年も、転倒して左手首の骨折で、150ccのバイクでのレースが終わった。一方、兄のホアン・マヌエルにとっては、転倒は日常茶飯事。一日3,4回は転ぶ。「でも、水の中じゃない、砂の中だ。」
最終日の前日、「弟に痛み止めを渡した。手首が痛くてハンドルが握れない。だから、僕に“行けっ”て。」
マラソン・ステージでは、km120で転んでボロボロになったバイクに乗る兄について、弟ルイスがずーっとビバークまで助けた。
兄ホアン・マヌエルはもう少しで完走ができそうだ。
弟ルイスは、2年で16ステージを走り切ったが、ダカール・ラリーは完走できなかった。

1月15日 (日)  第14ステージ  ナスカ→ ピスコ
リエゾン : 254㎞
SS : 29㎞

09:54
ダカール・ラリー2012、リマの表彰台

モトのトップ・グループがリマのデ・アルマス広場に到着した。大勢の観衆が熱烈に、各カテゴリーの入賞者らを待ちうける。最初に表彰されるのはモト部門:シリル・デプレ、続いて、マルク・コーマ、エルダー・ロドリゲス。次はクワッド部門:アレヒャンドロ・パトロネッリ、弟マルコス・パトロネッリとトーマス・マフェイ。クワッド部門はアルゼンチン人の1,2,3。そして次は、オート部門、ステファン・ペテランセルとホアン・ナニ・ローマの2台のMiniに続き、Toyotaのジニエリ・ド・ヴィリエ。最後、カミヨン部門。Ivecoのジェラルド・デ・ローイとハンス・スティシー、そしてKamazのアルチュール・アルダヴィシュス。

09:36 – カミヨン
523 – カミヨン部門のSSトップはマルデーブ

本日のカミヨン部門のSS優勝はロシア人マルデーブ(Ilgizar Mardeev)。マルデーブ(Kamaz)は28’48″で、ハンス・スティシー(Iveco)に17秒の差。アンドレイ・カルギノフ(Kamaz)が+1’04″。アルチュール・アルダヴィシュス(kamaz)は4位、5位はジェラルド・デ・ローイ。

09:17 – オート
303 -ゴードン、最後、頑張る.

ダカール・ラリー2012の最後のSSをロビー・ゴードンがトップ・タイムで通過した。続くのはMiniの2台、リカルド・レアル・ドス・サントスとクリストフ・ホロヴィッツ。総合順位のリーダー達は相対的に最後のSSを安全パイで走り、ゴールするだけで満足しているようだ。総合順位1位ステファン・ペテランセル、2位ホアン・ナニ・ローマ、3位ジニエリ・ド・ヴィリエは確定。

09:13 – クワッド
257 – マフェイ、最後に花を飾る

クワッド部門総合3位のトーマス・マフェイが現在トップ・タイム。続いて、セルジオ・ラ・フエンテ、パトロネッリ兄、弟マルコス。総合順位では兄アレヒャンドロ・パトロネッリ、弟マルコス・パトロネッリの順。

09:09 – モト
006 – SSゴール :ウレヴァルスター、トップ・タイム

本日のSSをノルウェー人パルアンデルス・ウレヴァルスターが22’26″で通過、ベスト・タイム。マルク・コーマと1’08″の差。シリル・デプレは3’51” の差でSS10位。

09:03 – オート
オート部門、トップ・グループがゴール

ステファン・ペテランセルがSSゴールをトップで通過した。ペテランセルは25’55″、ホアン・ナニ・ローマは24’54″、ジニエリ・ド・ヴィリエは24’11″。

08:51 – モト
002 – コーマとデプレがゴール..

2012年大会の二人の優勝者が本日のSSゴールを通過した。暫定タイムで、マルク・コーマは23’29″ 一方シリル・デプレは26’07″。これで、デプレの総合優勝は確定した。

08:26 – オート
302 – 最後の緊張のひと時.

ステファン・ペテランセルは昨日、「最後の短いSSが終わるまで、まだ一息つけない」と言っていた。たとえ今日のSSがシンボル的なものだとしても、決してシンボルでなく、リーダーの手から勝利が消えうせる可能性もある最後の障害レースなのだ。チーム・メイトのローマがぴったり後ろ着いてMiniの302がスタートした。

08:21 – モト
120 – SSゴールを最初に通過したのはイラネス

ゼッケン120のチリ人、ロドリゴ・イラネス(Rodrigo Illanes)がSSゴールを最初に通過した。現在トップ・タイムで通過したのはアラン・デュクロ28’44″。

08:19 – モト
コーマとデプレがスタート.

モト部門最後のスタート、マルク・コーマとシリル・デプレがスタートした。

08:02 – クワッド
クワッド部門スタート.

SSをクワッド部門がスタート。アレヒャンドロ・パトロネッリ、マルコス・パトロネッリ、トーマス・マフェイの順、30秒毎にスタートする。

07:30 – モト
SSスタートが30分遅れる…

現地時間7時30分、29kmのSSを最初のモト・ライダーがスタートした。トップ走者は総合順位の最後のライダー。2台ずついっしょにスタートし、最後のトップ10だけ1台ずつのスタートとなる。雲が深くたれ込み、視界が悪いので安全の為に、予定の7 時08のスタート時間より約30分遅れることになった。

06:03 – オート
オート、リエゾンをスタート

モトと反対に、オート部門は、総合順位の順番でリエゾンをスタートした。ステファン・ペテランセルがトップ、ホアン・ナニ・ローマ、ジニエリ・ド・ヴィリエの順。SSにコールされているオートは79台、カミヨン60台。

04:47 – モト
モトはリバーススタート

最初のモトがリエゾンをスタートした。トップは昨日のSS優勝者ではなく、総合順位の最後。大会の伝統で、今日はリバースの順番でスタートするのだ。各クラスのリーダーが最後にスタートし、ポディウムに登る。134kmのリエゾンの後、29kmのSS。モト98台、クワッド12台がSSスタート予定。

02:30
リマへのファイナル・テスト

Mini軍団、Iveco軍団、パトロネッリ兄弟、オート、カミヨン、クワッド部門のトップと次席のタイム差を見ると、ほとんど覆ることはなさそう。しかし、ダカール・ラリーは最後のポディウムに登るまでわからないのを忘れてはいけない。デプレにしたってコーマとの戦いが終わったものの、2位とのタイム差はそれほど大きくはない。本日のピストとデューンの短いSS、だが侮ってはいけない。このレースを走破した2012年の英雄たちは、喜びが高まる中、首都リマの中心デ・アルマス広場で、観衆から惜しみない称賛をうける。冒険を生き残った者たちは、やっとこれまで乗り越えてきた過酷な時間を振り返る。チャレンジが終わり、景色や味わった感動、貴重な経験の記憶はこの先いつまでも残るだろう。

EN – The stage summary – Stage 14 (Pisco – Lima) – 2012/01/15

EN – Interview stage winner – Stage 14 (Pisco – Lima) – 2012/01/15

EN – Magazine – Stage 14 (Pisco – Lima) – 2012/01/15

EN – Image of the day – Stage 14 (Pisco – Lima) – 2012/01/15

EN – Landscape of the day – Stage 14 (Pisco – Lima) – 2012/01/15

ロドルフォとセバスチャンの幻滅

「コースを間違えた」、Polaris XP900の前で、ロドフロ・ボレロ(Rodolfo Bollero)はいたたまれず、言葉少なにウェイ・ポイント36のできごとを語り始めた。
コ・ドライバーのセバスチャン・ショルス(Sebastian Sholz)と共に好調にレースを続けてきていた。ウェイ・ポイントを外したので、探しに戻ろうと思った。ところがカミヨンが次々と対面からやってくる。そして金曜日13日、ギア・ボックスが壊れる。
「ウェイ・ポイントを通過するのを諦めて、ビバークに行くことにした。」
そして、ここビバークでボレロはさえない表情。
「今大会一度もペナルティを受けていなかった。一度もこんな目にあったことがなかったのに・・・。」とコ・ドライバーはクレームを提出したが、オフィシャルから受けた発表は9つのウェイ・ポイントを外し、失格・・・。ボレロは目に涙をいっぱいためて、コ・ドライバーの言葉に耳を傾ける。

シリル・デプレとカリファーノがナスカでスカイプ

「やぁ、元気かぁ?」とシリル・デプレ。
「ちょっとさぁ、あんたの仕事楽じゃないねぇ」とクリスチャン・カリファーノ。
前者はダカール・ラリーの3度のチャンピョン、後者はフランス・ナショナルチームの元ラグビーマンで、2009,2010大会で完走したモトのライダー。今、ナスカのビバークで20時。ピスコの決定的ステージとなる前夜、デプレがスカイプしている。
「あんたらのやっているのは病気だね。」とカリファーノ。
「見てくれてる?なんとか、舞い上がってるだろ?
お前がうらやましいよ。ソファーにひっくり返って、12個のリモコンをいじりまわしていてさぁ」」とコーマのライバルが答える。
熱烈なオートバイ・ファンのカリファーノは、ダカール・ラリーでデプレに手取り足とりアドバイスを受け、数年前から仲よしになった。
「ビバークにお前がいないと淋しいぜ。ソックスをぶら下げたお前のテントが無いとなぁ」とデプレ。
「あんたら二人、とんでもないすごいレースのページを書いているところなんだろ」とカリファーノ。ハッピーエンドがもうすぐだ。

ファンルーン、ペルーではツイていない
オランダ人、エリック・ファンルーン(三菱ランサー)はここアリカのスタートまで好調に進んでいた。総合9位、チーム・メイトのテンブリンケ(Bernhard Ten Brinke)も総合8位と、彼らのパフォーマンスを充分示してきた。しかし、第11ステージはファンルーンにとって、悪夢のようだった。ペルーに入るなり、トップ10入りの夢も消えてなくなった。第11SSでは、次々とトラブルに見舞われ、
「今日は総合順位がガクッと落ちてしまった。クルマは川の水につかり、さらに多くのリオを越えなければならなかった。そこからいろいろトラブルが出てきた。最初は、ステアリング・ギアが壊れ、次はオルタネ―ター。そして50km先でストップ、修理に3時間以上もかかってしまった。その後、フェシュフェッシュで少なくとも20回はストップした。特にあまりパフォーマンスのない後部を走るクルマに阻まれて度々スピード・ダウンしなければならなかった。この不運の一日(現在総合15位、トップと3時間30分ものタイム差)にも関わらず、ファンルーンは 「前にダカール・ラリーをリタイアしたことがある。走り続けていられるだけで幸せ。」

SISTERNAが砂丘を飛ぶ時

リノ、父の名前。ホアン・パブロ、息子の名前。アルゼンチン人。彼らのクルマはバギー。しかも超軽量。1300kg足らず。強烈な太陽の下、厳しい暑さの中を、ハンドルを握る父は、第10SSのデューンの山頂でアクセルを緩めない。
「km280の所だった。2km手前の砂丘でスタックした。フェシュフェッシュやデューンの中を走るのに、車両が軽いのでスピードを出して通過しなければならない。だから、デューンの頂点で、アクセルから足を離さないようにした。で、クルマは山頂からガ-ンとぶっ飛んでしまった。なすすべがなかった。」
San Juan Mineroと落書きされたバギーは、ジャンプして頭から砂の中に突っ込んだ。タイヤ4本ある方に着地かと思ったら、一瞬戸惑った挙句、ひっくり返って止まった。父子は、親指と窓から突き出して、中で健在なことを示す。ひとしきり驚きがおさまり、二人再び走れるよう模索中だ。なんとも不死身の競技者だ。「アクセルを踏んではいけなかった。しかし、時には、ケーブルがあって・・・わかるだろ?」と父。そして少しがっかりした様子で息子は「せっかく、調子良く走っていたのに、残念。あと少しでスーパーなリザルトになれたのにー。」救いようがない!

モノ・シート2台
ここまで100%上手く行っていた。昨年、オランダ人キース・コーレン(Kees Koolen)のプロジェクトは、バギー2台でエントリーし、第6ステージでリタイアして挫折した。今年は彼 は、ユルゲン(Jurgen Van Den Goorgergh)といっしょにエントリー、完走できそうに見える。昨年とは比べ物にならないほど性能が向上したバギーに身を沈めて、二人はおとなしく走ってきた。
「ラリー序盤で、何回か電気系のトラブルがあったが、すぐに解決できた。ほとんど毎日、とても長い時間、コースをバギーで走っている、それはまさに幸せ以外何物でもないね」とユルゲンが語る。彼は元GPライダー。プロジェクトの発案者であり、バギーの製造元でもあるコーレンは、ユルゲンの経験だけでなく技術も向上していることをちゃんと気づいている。
「トライアングルや、ステアリング・ギアやドライブなど壊れやすいところを強化した。そして、運転の腕前もだいぶ良くなったと思う。」「ビバークでみんなから声をかけられるようになってきた。なぜなら、皆、難しいアドベンチャーが好きだから。しかし、彼らを納得させるのには、何よりリマに付かなくては」

1月15日 (日)  第14ステージ  ナスカ→ ピスコ
リエゾン : 254㎞
SS : 29㎞

モト
002 – シリル・デプレ : 今日のことは一生の思い出だ

毎日、小さなことに気を付けてきた。俺の宿題をきちんとできたことは嬉しい。俺のような職業では、うまく行くと優勝にありつける。今日、優勝できた。こんな嬉しいことはない。今回は、俺が今まで出たダカール・ラリーの中で一番難しかった。肉体的にも厳しかったし、何よりも精神的にきつかった。毎朝チャレンジの気持ちを立て直し、戦う、それは頭の中では非常にハードだ。それは42kmのマラソンとは全く違う、ここでは毎朝、毎朝、辛い仕事に出かけなければいけないんだ。優勝はどんなものでも素晴らしい、しかしこれだけは格別だ。なぜなら、状況は最後の最後までわからないからだ。毎秒が戦いの中で、シナリオを描くことなんかできない。これまで、85回か90回くらいラリーに出たが、今回が最もハードに戦った。今日の事は一生の思い出だ。
ステファン・ペテランセル?彼は別世界の人だ。俺がクルマを運転する才能があるかどうかわからない、試したこともない。はっきりしているのは、彼は素晴らしいパイロットで、俺にとってルーベン・ファリアのように、彼はジャンポール・コトゥレとすばらしいチーム・メイトがいるってことだ。

001 – マルク・コーマ :もっと一生懸命練習する
総合2位で終わったが、それは簡単ではなかった。毎日精いっぱいできるだけのことをやった。シリルを祝福するよ、彼は本当のチャンピョンだ。しかし、来年は勝てるようもっとたくさん練習する。私達は交代で優勝しているから、本来なら来年は私の番だ。でも、その前に、練習しなくては。
 
 

003 – エルダー・ロドリゲス : 解決策を見つけるつもり
ダカール・ラリーが終わるというのは、いつもながら素晴らしい。しかもポディウムに登れた、信じられない。マルクとシリルという二人のスーパーなライダーがいて、彼らと戦うことは非常に苦しかった。第4ステージで、20分タイムを失い、その2日後に20分またロスした。だから40分、これを挽回するのはそうとう難しいと思った。ダカール・ラリーで勝つには、年間かけて完璧に準備し、レースの間中、すべてが順調に進まなければならない。彼らのレベルに達せられるよう解決策を見つけるつもりだ。すべての点において少しずつ足りないが、何よりも、強力なストラクチャーを手に入れるお金が必要だ。

クワッド
250 – アレヒャンドロ・パトロネッリ :最初から最後まで完璧

ステージは良かった。ダカール・ラリーが終わったことが信じられない。レースは時々非常に難しかったが、すべてうまく終わった。これで2度目の優勝だ。続けて2度優勝というのは非常にたいへん。去年は途中手をケガし、走るのが辛かったが、今年は完璧だった、最初から最後まだ。まったくトラブルがなかった。神様のお陰だ。応援してくれた人達にお礼を言いたい。
 
 

オート
302 – ステファン・ペテランセル : 信じられない

ダカール・ラリーで一回優勝することがこんなに難しいとわかると、10回も優勝できたことが信じられない。再び優勝を手にするまで5年、本当に長かった。南米で勝てたたことは、私の優勝の中で最高の勝利で、ものすごくほっとした。最初の週ずっとライバルと激しいバトルが続き、プレッシャーがレースの間ずっとあった後でのことなので、なおさらだ。X-Raidチームに勝利をもたらすことができたというのはスペシャルだ。スベン・クォンツ(Sven Quandt)は長い間それを望んでいたから。私がこれ以上良いレースができるかどうかわからない。他のドライバーにとっては、レコードを打ち破るのはもっとむずかしくなるだろう。
今回のレースは非常にストレスで、エキサイティングで、刺激的だった、そして最後にこんな喜びがあった。今のところ、チームのみんなと一緒にお祝いをするよ。その後はどうかな。
私の優勝の中で何よりも感激したのはモト部門で優勝したときだった。その勝利の感覚はまた格別な気がする。年をとってきたし、パフォーマンスも落ちた市、南米向けにできていないし・・・・どうかなと思い始め、そこで今回は微笑みをもたらしてくれた。が、実は今でもレースの時にポケットの中に、モト時台のブルーのバンダナを持っているんだ。ブルーのバンダナは私の起源だからね。

303 – ロビー・ゴードン : 我々は4番目の敗者
我々、今朝は非常に早かった。20kmちょっとのコースで2位のクルマに1’30”のタイム差をつけた。常々、2位というのは1番目の敗者だと思っている。だから我々は4番目の敗者なんだ。しかし、何より良いことは、我々は他がどうであれ、ラリーで最も早いクルマを持っているということだ。私のHummerとナセルのHummer、我々は最も早いクルマを持っていたんだ。たぶん、また出ると思う。

305 – ホアン・ナニ・ローマ :チームが勝った、それが何より
非常にポジティブだった。また新たに勝てる状況になったという思いがあるね。良いクルマで、良いチームと共にする事ができた。集中して良いレースをすることができた。私のステージ優勝も補足になった。重要なことはチームが勝ったことと、ミス無しの良いレースをした上での準優勝ということだ。
 
 

301 – ジニエリ・ド・ヴィリエ :来年はもっと接近する
Miniの競技性にくらべたら、私達のほうが不利だとわかっていたから、なんとかトップ5に入りたいと思っていた。私達のクルマは将来のルールをベースにデザインされており、彼らに比べたらパワーが不足している。特に砂の中では。しかし、私達のクルマは信頼性の上で全く問題がなく、私達のチームは非常に良い仕事をした。結果は優秀、初めてレースをしてポディウムに登ったような勝利だ。来年はレギュレーションが変更になるので、私達はもっと接近し、接戦になるのは間違いないだろう。来年私達が優勝を目指すのは間違いないよ。

カミヨン
502 – ジェラルド・デ・ローイ : 父がパリ・ダカで優勝して25年目

すばらしいことだ。今年から優勝できるなんて信じられない。すべてチームのお陰だ。ちょっと感動しているので、サングラスのまま話しするよ。レースのすべてが素晴らしかった。私がダカール・ラリーを始めたのは22歳の時だった。それから10年、父がパリ・ダカで優勝して25年目だ。今朝スタート前、とてもナーバスになっていた、がそれもかわいいもんだ。チームを、そしてカミヨンの中の二人のコ・ドライバーを誇りに思うよ。

1月15日 (日)  第14ステージ  ナスカ→ ピスコ
リエゾン : 254㎞
SS : 29㎞

グランド・チャンピョン、デプレとペテランセル

大会最終ステージで優勝したのは、モト部門パルアンデルス・ウレヴァルスター、オート部門ロビー・ゴードン。そして総合優勝はフランス人シリル・デプレとステファン・ペテランセル。後者はオート部門で4度目、モト、オート併せて通算10度目の総合優勝となった。リマのデ・アルマス広場のポディウムで、ここまで戦い抜いた選手を百万人もの観衆の歓声を受けた。エントリーした競技者の内、本日ここで祝福を受けたのは :モト178台→97台、クワッド30台→20台、オート161台→78台、カミヨン74台→60台、 合計443台→249台。

どのステージでも、デモンストレーションし、シリル・デプレはついにアドバンテージをとった。マル・デル・プラタを出発して、ルート、ピスト、デューンなどの8300kmのコースで、マルク・コーマと53分23秒のタイム差で優勝した。彼の最強のライバルと2週間の熾烈なバトルの果ての、ダカール・ラリー4度目の総合優勝だった。

オフロード・オートバイレースのエリートの中で最大のライバルと再び対決。肉体的スタミナも大事だが、わずかなナビゲーションのミスが二人のドュエルに決着を付ける結果となる。早く走るだけでなく巧みなライディング、入念な戦略、KTMオートバイのメカニックを上手にコントロールする・・・など、二人のチャンピョンは、ダカール・ラリーで優勝旗を揚げる為、極度の互角な戦いから全ての点で勝ち取らなければならなかった。マルク・コーマにとって本当に落胆したのは、最終日の前日、これまで総合トップで彼がリードしてきたバイクのギアボックスが壊れ、新レギュレーションによりエンジン交換のペナルティ45分が追加になったことだった。これで、二人の勝敗は決着がついた。2週間におよぶ分単位のバトルの果ての決着だった。

シリル・デプレ、マルク・コーマと、優勝争いに対等な争いができるライダーが不在の中、総合3位になったのはエルダー・ロドリゲス、昨年に続いて2度目の総合3位だ。ポディウムに登ったものの、トップのシリル・デプレと1時間11分もの差があった。Yamaha YZFにとっても今回は次の大会へのステップというところで、ダヴィッド・キャストゥもオリヴィエ・パンも思ったような成績が得られず、論議がかもし出されることになるだろう。今大会、モト部門で、将来がもっぱらコーマの肩だけにかかってはいないことがわかるような、有望なカタルーニャの選手たちの活躍が目を引いた。ホアン・バレダは残念ながら総合優勝こそできなかったが、今大会総合11位、8回ものステージでトップ5入りしていた。また、将来楽しみなライダーとして、アレッサンドロ・ボトゥリ(Alessandro Boturri)、初参加にして総合8位、シリル・デプレとの差2h59’04。また新しいBordone-Ferrariチームのジョーディ・ヴィラドムスも総合4位につけた。このカタルーニャの選手たちに、フェミニン部門で優勝したライア・サンス(Laia Sanz)が.加わる。ノン・アシスタンス部門の優勝者はフランス人、ステファン・アマール(Stéphane Hamard)。

オート部門では、X-Raidチームがどこよりも強いクルマと最強のドライバーをしたててきたのでMini同士のタイトル争いになるかと予想されていた。結局、同チームは13ステ―ジのうち8回が4人ドライバーのいずれかがステージ優勝し、ペテランセルはステージ優勝3回。何より重要だったのは、チームが最後まで総合トップの座を維持したことだ。だから、ペテランセルとチーム・メイトの中でも最も経験豊富なローマとの間で優勝争いがあるのは驚くことではなかった。第3ステージ以降、総合トップに立ちながらも、ペテランセルは優勝の確約を最終日の前日まで待たなければならない。最終的に、ローマに41’56の差でペテランセルがオート部門4度目のタイトルを手にする。何よりも、ペテランセルが、モト・オート部門で通算10度目の総合優勝で、ダカール・ラリーでのレジェンドに新たなページを書きくわえた

一方、ロビー・ゴードンの活躍も大きくレースを沸かせた。チーム・メイトであり、前回優勝者ナセル・アルアティヤの運転の腕前に助けられ、また、クルマの驚くべきパフォーマンスによって、常にX-Raidチームとあい対しながら総合トップグループに位置し、今大会に刻印を残した。3度のステージ優勝をしながら、ロビー・ゴードンはトップと2h15以上もの差が出て、総合5位に終わった。

今大会のパフォーマンスで注目したいのは、目立たないながら、常に一定の順位に入り続けたジニエリ・ド・ヴィリエの業績だ。まだ開発途上のクルマの性能にもかかわらず、ド・ヴィリエは新型Toyotaの初参加からポディウムに近づいた。これは、彼に将来の確信と野心を与えることとなるだろう。

2輪駆動部門の優勝はバギーSMGのローナン・シャボ(Ronan Chabot)。最初から常時クラストップの位置に着いたまま、最後、クラス2位の南ア人、マーク・コルベット(Mark Corbett)に9時間以上の差をつけて優勝した。

プロダクション部門で優勝したのはスペイン人、ザビエル・フォッジ(Xavier Foj)。しかし繰り返すが、彼が最強のライバル、日本人三橋淳に59分の差を付けて、決定的なクラス優勝を手にするには、レースの最後まで待たなければならなかったことを忘れてはならない。

クワッド部門では、タイトル保持者、アレヒャンドロ・パトロネッリが連続2度目の総合優勝。コピアポのループステージで総合トップに立ち、その後、トップをキープした。弟マルコス・パトロネッリは第7ステージで、1時間20分ものタイム・ロスにより、優勝への夢を断ち切られた。しかしレースの圧倒的優勢は、ラス・フローレスから来た兄アレヒャンドだけでなく、大会を通して頑張ったもう一人のアルゼンチン人トーマス・マフェイも見逃せない。昨年総合7位。そして今回では第4、第5ステージでSS優勝、第9ステージまで秒単位の差で追いつめていた。ステージ優勝を数えてみるとどれくらい切迫していたレースだったか想像できる。トーマス・マフェイが4回(うち、1回はリマの最終ステージ)、一方、パトロネッリ兄弟はそれぞれ3回づつ。このアルゼンチンのトリオに続いて、総合4位、5位は、チリのイグナシオ・カサレ(Chilien Ignacio Casale)、ウルグアイ人セルジオ・ラフエンテ(Sergio Lafuente)、しかし6から8時間ものタイム差がある。一方フェミニン・クラスでイタリア系フランス人カメリア・リパロティ(Camélia Liparoti)が昨年9位に続き、今回10位についた。

カミヨン部門: ジェラルド・デ・ローイの初優勝、イタリアのメーカーIvecoの初優勝。オランダチームが優勝を手にする為に注ぎ込んだ手段・お金を見れば、マル・デル・プラタのスタート時から優勝のチケットはプログラムされていたかに見えていた。しかし、デ・ローイ息子の有利な立場が確証されるには第9ステージの、アレス・ロプライスが転倒してリタイアする時まで待たなければならなかった。リタイアした時、若いチェコ人ロプライスはデ・ローイと総合タイム15’39”の差しかなかった。ロプライスとのサイド・バイ・サイドの熾烈なバトルにかかわらず、デ・ローイは、今大会最多数の5回のステージ優勝、第4ステージから総合トップに居座り続けて、総合優勝を手にした。父ジャン・デ・ローイがパリ・ダカで優勝してから25年目、息子ジェラルドが、これまでの覇者Kamazの衰退と共に、ダカール・ラリー史に新しいページを書きくわえた。

Kamazチームのリニューアルがまだ充分実っていないことは、エドワルド・ニコラエフ(Eduard Nicolaev)が第4ステージで、非スポーツ者の態度と言う理由で失格になったことでもわかるように、クルーの交代の難しさを表している。しかしながら、今大会でアンドレイ・カルギノフ(Andrey Karginov)とアルチュール・アルダヴィシュス(Artur Ardavichus)らが初めてステージ優勝を果たしたことで、Kamazの実力をかいま見せてくれた。

カミヨン排気量10リットル未満クラスでは、日野チームスガワラの菅原照仁が今回もクラス優勝。彼はトップの常連だが、今回の総合9位は、性能が格段と向上した大型カミヨンの中にあって驚くべき記録。菅原義正は、クラス2位の成績とともに、最多数完走の記録をさらに伸ばした。