1月20日(日)  最終章 サンティアゴ

 
デプレ、ペテランセル、レコード更新
 
 サンティアゴのモネダ宮殿前にセットされた、ダカール・ラリー表彰台に、チリ共和国大統領セバスチャン・ピネラが参列、完走した競技者らを表彰した。完走した台数は、モト124台、クワッド26台、オート89台、カミヨン60台の計299台 (1月5日にスタートしたのはモト183台、クワッド38台、オート153台、カミヨン75台、総計449台)。14日間の8,000kmを越えるレースで、67%の競技者が完走できたことになる。タイトル保持者の総合優勝に特徴づけられる大会だった。モト部門はシリル・デプレ、オート部門はステファン・ペテランセルがオート部門でそれぞれ5度目の総合優勝、クワッド部門ではマルコス・パトロネッリが昨年の兄アレヒャンドロに続いて2度目の総合優勝。唯一カミヨン部門だけが、エドワルド・ニコラエフが初めての総合優勝だった。
 

モト部門、デプレとファリアが1,2フィニッシュ

 シリル・デプレは大会参加12回目、優勝候補者が期待に応えた。ダカール・ラリー史で最多の総合優勝はステファン・ペテランセルの6回、次はシリル・ヌブーの5回だったが、今回の記録でシリル・デプレはヌブーと並んだ。デプレの次の目標は、ペテランセルの6回優勝になるのだろうか。
 
 しかし、2013年大会の勝利は、今後彼を待ちうける将来の挑戦の難しさを、彼に知らしめるものでもあった。彼の勝利は、強靭な肉体とオートバイの高度な運転技術、ナビゲーションの高度なスキル、レースのセンス、こうした一連の条件に加え、偶然ではなく入念に作り上げた状況によって得たのであって、このうちのたったひとつを強化しただけでは不可能なのである。
 
 ディフェンディング・チャンピョンは、最初の1週間はYamahaに華々しい活躍を許し、控えめなポジションにいた。そしてレース中盤、第7&8のマラソン・ステージでさえ、彼はチャンスに背を向けられていたかに見えていた。サポートのいないカチ(Cachi)のビバークで、彼は総合5位に後退、エンジンを交換したことで15分のペナルティを科されてしまう。
 
 そして、デプレは、翌日から冷静かつ落ち着いて不運を組み立て、挽回にかかった。何よりも先を行くライバルたちが陥っていたナビ・ミスを避けた。今大会最長のコルドバのステージでは、ダヴィッド・キャストゥのリタイアとオリヴィエ・パンの大失敗に助けられて、Yamahaとの争いが一段落した。サンティアゴへのコースでは、彼のアシスト、ルーベン・ファリアをポディウム2番目の台に引き上げるというミッションと共に、トップを引いて走った。
 
 チャレコ(フランシスコ・ロペス)がゴールの前日、エンジン交換をしてペナルティを科されたことにより、その追加目標も達成できた。
 
 Yamahaは、キャストゥとパンの2人のメイン・ライダーがおかしたような個人的なミスをクリアさえできれば、KTMと互角に戦えるパフォーマンスがあることを示した。一方、デプレとファリアのデュオを最も大きく脅かしたのはチャレコことフランシスコ・ロペスだった。大会中は総合トップに一度もなれなかったが、ピネラ大統領の仲良しチャレコは、第1ステージ&最終ステージを含む5回ものステージ優勝を果たし、さらに、最終リザルトは優勝者とわずか18’48”の差で総合3位になった。マルク・コマとアルフィ・コックスを押さえてデプレが初めて優勝した2005年大会以来、総合優勝ともっとも僅差の記録だ。
 
 ダカール・ラリーでもう一段高いポディウムに上がる為には、チャレコは彼の熱い気質をコントロールする必要があろう。それは、シリル・デプレの未来のライバル、今大会4度もステージ優勝していながら総合17位に終わったホアン・バレダにも言える。
 
 優勝者KTMのチーム・メイト、クルト・キャッセリは初参加にして2度のステージ優勝をとり、、もの覚えの早い生徒といった感があるが、ベスト・ルーキー賞は総合13位になった南アのRiaan Van Niekerkが手にした。
 
 アシスタンス無しライダー賞を得たのは、総合49位のフランス人、ユーゴ・ペイヤン(Hugo Payen)。
 
 モトのレディスでは唯一ライア・サンス(Laia Sanz)が完走、途中ボードが壊れてGPSなどが使えなくなりながらも、93位で終わった。
 
 赤提灯賞(総合最下位)は48歳のアルゼンチン人、ルイス・バロステギ(No.150)。今大会3度目のダカール・ラリー参加、KTM150ccで、トップとのタイム差60時間で完走した。最たるネバー・ギブアップのすごい競技者だ!
 

クワッド部門 :パトロネッリに近づけるか?

 クワッド部門はダカール・ラリーの歴史の中で、部門が確立してまだ間もないが、これまでに比べて格段と強くなり、一段と競技性が高くなった。競技者は12か国から参加、総合優勝したマルコス・パトロネッリはこの部門の参加者最多のアルゼンチン人。昨年兄のアレヒャンドロが2度目の総合優勝を果たし、今年は末っ子の弟マルコスが2度目の総合優勝を手にした。2011年、2012年大会で優勝した兄アレヒャンドロは、今年は仕事の都合で参加できなかった。
 
 弟マルコス・パトロネッリは、今大会4度のステージ優勝を制し、総合タイムで2位のイグナシオ・カザレに1h35ものタイム差をつけて勝った。総合3位はポーランド人、ラファウ・サノク (Rafal Sonik)、3h18もの差があった。
 
 クワッド部門でも今年は、南アのファン・ビヨン(Van Biljon)、アラブ首長国のセバスチャン・フセイニ(Sébastian Husseini)、オーストラリア人ポール・スミスといった初参加が活躍が目立った。こうした新しいライダーらが打倒パトロネッリ兄弟に向けて、この先どのように戦っていくのか非常に楽しみだ。
 

オート部門 :バギーが牙をむき出し、ステファン・ペテランセルが制する

 ちょっと見ただけでもステファン・ペテランセルがこの第35回ダカール・ラリーでさらりと優勝してしまったことがわかる。2日目から総合トップに上り、最後まで不動のまま総合優勝を手にした。オート部門5度目の総合優勝、モト部門と併せて11回目の総合優勝、最多の総合優勝レコードだ。総合2位は南アのジニエリ・ド・ヴィリエ、42’22の差、総合3位はロシア人ノヴィツキー、1h28’22の差。

 最終ゴールでMiniがトップ5に4台が入ったが、パフォーマンスの違いというよりは、ライバルたちの失敗に助けられた部分も多い。最初の週はナセル・アルアティヤのバギーに脅かされたが、第9ステージでリタイア、そして、南アのジニエリ・ド・ヴィリエの第3ステージのナビゲーション・ミスなどによって、ステファン・ペテランセルは2週目を安泰の総合トップを維持できた。

 2輪駆動はレギュレーションに助けられ、2013大会際立った活躍が目立った。ナセル・アルアティヤが3回、ロビー・ゴードンが2回、カルロス・サインツ1回、ゲラン・シッシェリ1回と2輪駆動は7つものステージをとった。

 たとえMINI3台、中国のグレート・ウォールのカルロス・スーザ(総合6位)を含む4×4車が、トップ10に6台入っていたとしても、2輪駆動のパフォーマンスはより信頼でき、オンロードで明らかに4×4より速かった。

 2000年にトップ10の中に2輪駆動車は3台いたが、2輪駆動車がとった最も良い総合順位は、2009年のロビー・ゴードンの総合3位。今大会総合7位のローナン・シャボはそれに次ぐ総合順位である。

 ルーキー賞は、ロシア人Vladimir Vasilyev、総合16位。市販車部門の優勝はスペインのザビエル・フォッジ、2度目の部門優勝。チーム・ランドクルーザー・トヨタオートボディのニコラ・ジボンにわずか13’09”の差だった。
 
 シングル・ドライバー賞は、オランダのティム・コロネル、総合55位。レディス部門はコロンビアのMartha Mariño、女性唯一の完走者で総合86位。
 

カミヨン:Kamazの復帰

 カミヨン部門にとって2013年大会はKamazのカムバックに特徴づけられる。Kamazチームとして総合優勝を手にするのは11回目だが、何よりもサンチアゴの最終ゴールに1,2,3フィニッシュという輝かしい成果を収めた。かつてのKamazのドライバー、チャギンが今年初めてチーム・マネージャーとして采配をふるったが、チャギンへのすばらしい贈り物となった。とはいえ、チャギン時代のような、ブルー・カラーのカミヨン抬頭していた時とは、かなり内容が違う。

 今大会総合優勝したエドワルド・ニコラエフは、2度もステージ優勝していないし、チームで最多のステージ優勝のアイラット・マルデーブにしても4回だけ、ジェラルド・デ・ローイに6回のステージ優勝を取られている。 
 
 ジェラルド・デ・ローイは、カミヨン部門の最速男というのに疑問の余地はないが、第9ステージでターボが壊れ、優勝への希望を絶たれてしまう。1時間もタイム・ロスしながら執拗に追い上げ、最後のステージでトップと4’19”の差、4位に終わった。
 
 ハイ・スピード・コースが多く、大型カミヨンが抬頭する一方、排気量10リットル未満クラスは、日野チームスガワラの菅原照人が総合19位でクラス優勝。父の菅原義正は総合31位と素晴らしい成績だった。
 
 

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