ダカール・ラリーの厳しい掟 !
ゼッケン445のクルマがSSのゴールのチェック・ポイントについたのはほとんど真夜中0時。クルマの中は彼一人だけ。イグナシオ・コンクエラ(Ignacio Corcuera)は今日のステージを10時間以上かかって走ってきた。
「第2ステージでデューンを越えたところでパンクした。タイヤを交換している間に、カミヨンがコースをぐちゃぐちゃに掘り返してしまっていた。あまりにコースがひどくて走れなかった。特に夜間は。そこで寝て、明日ビバークに合流することにした。そのせいで、今朝、第3ステージは、またカミヨンの後のスタートになってしまった。今日の岩だらけのコースで、度々クルマを降りて、歩いて正しいコースを探さなければならなかった。あまりに走った跡のワダチがあちこちにあって、どのワダチを追えばよいのかわからなくなってしまっていたからだ。ソロ・ドライバーなので、クルマがダメージしないように走らなければならない。カミヨンの後ろを走るのに少し慣れてきたが、この先ずーっとこのままリマまで行くのだろうか。そうでないよう祈るよ・・・。」

足慣らしで、9.000キロ
サンファンのビバークまで、3日間のステージで走ったのはたった2,900km。ベネズエラ人パイロット、ナンシオ・コファロ(Nunzio Coffaro)にとってはそんな感じ。
なぜなら、彼はアシスタント・カミヨンをベネズエラの首都カラカスから運転してきたからだ。カミヨンをクレーンでフェリーに乗船させることができなくて、一人で16日間かけてブエノス・アイレスまで走ってきたのだ。カラカス→ボゴタ(コロンビアの首都)→キト(エクアドルの首都)→リマ(ペルーの首都)、その後、Jamaからコルディエール峠を通過し、チーム・クルーの待つブエノス・アイレスに12月25日に到着した。走行距離9,000km。さながら、アマチュア選手のラリーレイドだ。
「最初は小さなジープで家族とドライブして遊んでいたが、そのうち本格的にオフロードをやるようになって、メルボルンのアウトバック・チャレンジに4度参加した。エクストリーム・オフロード7日間のレースだ。そして、コロンビア・ラリーや、セルトンエス・ラリーにも参加した。今回のダカール・ラリーへの参加は、ベネズエラ政府と国営石油会社がスポンサーとなり、ダニエル(Daniel Meneses)と私で最初から運営してきた。我々のチーム無しでは、運営できなかっただろう。」

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