ダカール・ラリーにデビューして十五年、日本人パイロット三橋淳はバイクに乗る為にチーム・ランドクルーザー・トヨタオートボディを去った。彼はダカール・ラリーで第三のキャリアを始めようとしている。

ダカール・ラリーに精通したファンは、活躍した日本競技者らについて詳しく説明することができる。1997年に優勝した篠塚建次郎、2002年-2003年優勝の増岡浩らを抱えた最盛期の三菱チーム、ダカール・ラリーに今回33回のエントリーを果たす超ベテランの菅原義正など。

そしてその後に続く三橋淳。15回目のエントリーを果たし、その間の実績も嫉妬されるほど華々しい。昨年までの8回はチーム・ランドクルーザー・トヨタオートボディのオフィシャル・パイロット、T2市販車部門で5度の優勝、2005年には総合11位と総合トップ10入りするところだった。15回目のエントリーとなる次大会で三橋淳は、快適な習慣にあったにもかかわらず、デビューした当時のバイクに戻る方に向かった。「T2での前回の優勝でTOYOTAとのアドベンチャーは終わった。KTMジャパンから連絡があって、最初は冗談かと思った。でも、本気の挑戦だった」。彼に次大会の目標は2002年の総合12位を目指すのかと聞くには時期尚早というものだろう。はるか昔の事なのだから。

「ともかく完走することが目標だ。これほど長い間ラリーでバイクから離れていたのだ、自分のリズムを見つけるのは難しい。だが、メルズーガ・ラリーでは一度も転倒しなかったし、ペナルティも受けなかった。ナビゲーションもパーフェクトだった」と元&次期ライダーは語る。淳が戻ってくる、さあ大変だ!

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