イキケの夜
イキケのゴールでは、レジェンドになりつつある、巨大な下りがある。平均勾配が32%の2㎞もの砂山下りだ。この砂山の頂上に立つと、驚くような太平洋の見晴らしが目に入る。競技者はそこで、ビバークまで最高速でいっきに滑り降りる。最も速いモトのライダーは150 km/hに達するというが、昨日のロビー・ゴードンは190 km /hを記録したと言う。
しかし、夜中に到着する競技者はまた別の話。そもそも、夜遅くビバークに着く競技者は、既に1日中走って疲労の極致だ。今日のSSでひっくり返ってぼろぼろになった競技車でこの砂山の頂上に到着したペルー人ホアン・ディボス(Juan Dibos)もその一人。「すごく感動したが、でもゆっくり降りた。40 km/hで。」
彼の同国人、ロペス(Jesus Lopez)は少し前にこのコースを降り、その時の恐怖を、「真っ暗闇に飛び降りるようなもので、ものすごくおっかなかった。」と感想を語る。
ミッシェル・ソーメ(Michel Saumet)は、「夜、真っ暗な中では本当に怖い。私は15 km/hで降りた。」
しかし、ダカール・ラリーにはいろいろなヤカラがいる。真夜中ここを降りたイタリア人ドライバー、クラウディオ・イダルゴとセバスチャン・パルマは、「おもしろかったぜー。ブレーキも踏まずに一直線に降りてきちゃった。」

CAMELIA PROFITE ENFIN DU DAKAR
イキケのビバークから夕陽が落ちるのが見えた。カメリア・リポロティ(Camélia Liparoti)は、特別の感動と共にこの夕陽を眺めたのではないだろうか。ダカール・ラリーのスクラッチで8位という、彼女にとって最高のリザルトの後では特に。フランスのシャモニーからやってきたクワッド・ライダーは、今日の606kmのSSを走り終わり、「ダカール・ラリーを楽しんでいるの。走り終わって、ビバークで仲間と話し、ゆっくり休む。こ本当に気持ち良く過ごしているわ。」
昨年はクワッド部門で総合10位だった。今年、4度目のダカール・ラリー、休息日で総合8位という名誉なリザルトだ。「前より上手く走れるようになったし、クワッドも良くわかって来た。年間を通してクワッドをやっているから。場合によってはすごくスピードを出せるけれど、普通70%くらいで走っているさ。そして、ほとんどパンクしないの。ダカール・ラリーで精いっぱいできるってことがわかったので嬉しい。それも一つの走り方よ。」この、個性的なスポーツウーマンにかかっては、トップ5入りもありうるのかも・・・。

LA SERENITE SUD-AMERICAINE D’EDOARD
エドワルド・ピエロ・モッシ(Edoardo Piero Mossi)、どれほどダカール・ラリーに出るのを待ちこがれたことか?2007年、3度目で最後のダカール・ラリー出場だった。オート部門で90位にいた。彼はブレーキを壊し、アフリカを知る前にリタイアになった。そして、5年ぶりにダカール・ラリーに参加し、南米のコースを走った。
「ここも、悪くないね。これもまた別のラリーだ。どこに行っても観衆がいる。楽しいし、安心だ。」と感想を語る。元モトのライダー(2005年大会で総合91位)は、今回クルマで一人でエントリーすることを思い立った。
「パーソナルなチャレンジだ。あまりお金が無い時は、違った方法でやるんだ。」と彼は、Toyota KDJ 120の改造とアシスタンスに5万ユーロ(約500万円)を出した。残りは「運の問題さ」と言う。
彼はミラノに住むイタリア人、モロッコ・ラリーの主催者だ。第9SSのkm200で、彼はリタイアした。「前左のタイヤがちぎれてしまった。ソロ・エントリーの競技者では、とても解決できない故障だった。4時間後、修理し終わった。5時30分、彼は舗装道路を走ることにした。彼は、アシスタント・カーがパーツが無いのを知っていた。彼はアドベンチャー・スポーツが終わったことをかみしめていた。「俺にとって、ひとつのラリー、もう充分だ・・・・。」
アリカのビバークで、彼はリタイア宣言を提出し、彼の友人のモトのライダーを手伝うアシスタンスとしてダカール・ラリーを続けることにした。「リマまで行こうと思う。ダカール・ラリーのスピリッツで。そして、俺流のダカール・ラリーを続けるんだ。」エドワルドがコピアポ→コピアポをゴールすれば総合61位になるはずだった。

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