医者が力仕事をする時
フランスの緊急医療団SAMU 74のレスキュー医師、ダヴィッド・デルガド(David Delgado)は昨年から、大会総監督のエチエンヌ・ラヴィニュと共にヘリコプターに同行している。毎朝、モトのスタートで、ライダーのチェックをする。「疲労困憊していないかどうか注意を払う。彼らは競技者の中でもいちばん危険にさらされている。コースをオープンするのも彼らだ。だからエチエンヌは、できるだけ朝のスタートをライダーといっしょにいるよう心がけている。」 医師が、オートバイの前輪から引っ張り出すという作業は、ダカール・ラリーの医師以外、そうそう見られるものではないだろう。

ダカール・ラリーでは毎日が思わぬ出来事が舞い込んでくる。この第8ステージで、チェック・ポイントのオフィシャルから「コースが、競技をするのに問題が無いかチェックしてくれ」という電話が入った。「だから7時15分のレース前踏査を行った」とデルガドが言う。コースのkm9からkm11の上をフライトして、特に問題はなかった。その直後、無線が「コースが泥に覆われている」との連絡が入り、再び現場へ。「そこには、ライダーが泥にハマって動けないのが見えた。30mほど離れた所にヘリを止めて、急いで現場に行った。ゼッケン6や7が泥の中にいた。急いで助けた。バイクだけで既にものすごく重い。それがこの泥にはまったらまるでセメントのようで、どんなにしようにもピクリともしない。そのコツは、前輪を持って、思いっきり引っ張るんだ。3人がかりでようやく、抜け出せた。パウロ・ゴンサルヴェスはエンジンをかけて抜け出た。」

YIYOの心配ごと
通称Yiyoこと、ロドリゴ・イラネスはイキケ出身。彼は、イキケで生まれ、13歳の時にモトクロスを始めた。ダカール・ラリーが地元にやって来る、彼はそれをまさかと思いつつ、夢見ていた。昨年のダカール・ラリーで、彼はイキケの数km手前で右手を骨折してリタイアしてしまった。今年は考えがある。彼が4度優勝している「砂漠のデザフィオ」が昨年8月にあり、“チリの偉大なライダー”が転倒し、悪夢となった。骨折4か所、左鎖骨骨折、右の肺貫通。「チャレコのようだった。」と彼は言う。
「それ以来、怖くなった。転ぶのが怖い。イキケまで行けないかもしれないという不安もあった。ここは僕の町で、たくさんの人が待っている。去年はここまで来られなかった。」すこし不安げなまなざしの彼だったが、ゼッケン120はアントフォガスタのビバークに着いた。彼が来るというので、イキケの町では彼の到着を待って祭りの準備を進めているだろう。だが、彼は怖い!
「みんなに到着できるかどうかわからないって言ったんだ。皆、指をクロスして待っている。第2ステージでリタイアした友人のマヌエル・ジャメットも待っている。何としてもイキケに行きたい。それは私にとって、チームにとって、マヌエルにとっても大事なことなんだ。まず、イキケ。そしてリマ。この恐怖が完走させてくれるかもしれない。」

砂漠のゴルファー…
フランス人、ウィリー・アルカラズ(Willy Alcaraz)はモノ・シートのPolaris RZR900でエントリーしているドライバー、このエンジンでダカール・ラリーで走るのは彼が初めてだ。世界一難しいといわれるオーガスタやセント・アンドリュースのフェアウェイとは比較しようがないだろうが、コピアポのデューンも最も難しいデューンの一つだ。今日も何台の4×4がこの砂丘郡に埋まったことだろう。そこを彼は走り抜け、前半の1週間が終わった。
「最初は、私の小さなバギーを見てみんな笑った。それが今では、あまり笑う人はいない。何といってもコピアポのSSで私は39位だったのだ。このクルマは砂丘をスルスルって自分から登ってしまうんだ。実際、アントファガスタのスタートする時、113台の生き残った組みに入っていた。しかし、今日のフェシュフェッシュのコースを一人乗りシートのバギー、特に窓ガラスが無いクルマで走るのは並大抵のことではなかったと思われる。
「本当にキツかった。こんなに一日中、埃を吸ったのは初めてだ。私のRZRで不利なのは、この埃のコースだけだ。私は今、総合50位、クラス・トップ。そして、一人で走るのが快適だと思えるようになってきた。自分しか頼る人がいないと、頑張るから。」

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