Category : お知らせ

ダカールラリー2012の開催発表として世界各地を回るダカールワールドツアーが行われました。今年は、日本での開催は無かったものの、4月12日にペルーの首都リマをスタートしたワールドツアーは、サンティアゴ(チリ)、マルデルプラタ(アルゼンチン)、バルセロナ(スペイン)、ブリュッセル(ベルギー)、アイントホーフェン(オランダ)、プラハ(チェコ)、ミラノ(イタリア)と続き、5月17日の北京(中国)でゴールを迎えました。
2012年大会のエントリーは、5月16日にエントリーが始まっており、今年も定員を超える申し込みが予想されています。申し込み人数が定員を超えた場合には、主催者A.S.O.による出場を許可する選手の選考が行われる予定です。エントリー手続きや選考方法などの詳細は公式ホームページ(英語・仏語)の選手の登録ページにてご確認ください。

ダカール・ラリー・ワールドツァーの最後は北京。ASO会長のジャンエチエンヌ・アモリ―と大会総監督エチエンヌ・ラヴィニュが北京の発表会でスピーチし、中国のパイオニアたちが育ちつつあるのを確認した。

ダカール・ラリーに中国人がやってきたのはもう一昔前のこと。2004年には初めて中国人チームのLi Ningjiunが完走、総合57位でゴールした。それまで本当に完走の夢を実現できなかったこの国にこの成果をもたらしたのはコ・ドライバーのエキスパート、デニス・シュルガー(Denis Schurger)だった。それ以来、20人あまりのパイロットやそのチームメイトがアドベンチャーに挑み、何台か完走するようになった。モト、オート部門のメーカーがラリーに参入し、毎年増え続けるダカール・ラリーの参加リストは、大会への意欲を物語る。

 2012大会発表会は今朝、北京市内の2008年のオリンピックスタジアムの前で開催され、エチエンヌ・ラヴィニュが2012年大会の出場を予定している競技者らと対面した。4×4 Great Wallで参加、総合22位、2005年に総合19位という中国人最高の成績を持つYong Zhou、ライダーのJincheng、Wenmin Suらもこの次回の参加メンバーに入っている。
会場には40人余りのメディア関係者、中にはsohu.comの社長、国営放送CCTVやスポーツ新聞Titan Sportsなども顔を見せていた。

アルゼンチンでのDakar2011大会の経済効果について、同国が発表したところによれば、直接・間接的経済効果は27億9,5 00万US$に上ったと言う。
大会開催中、ホテルの稼働率は81%、フィフィやリオハ、サン・ホアンなど一部の都市では100%に上った。
アルゼンチンでのスタートや途中のコース、ゴールに集まった観衆はのべ340万人、ダカール・ラリーの一行は2,500人、著しい経済活性化を招いた。
190カ国、70チャンネル、のべ1、200時間、テレビで放映され、観光客プロモーションとしての効果は44、800万US$に上るとみられる。

ハンス・スティシーがデ・ローイチームに
ダカール・ラリーだけでなくシルク・ウェイ・ラリーでKamazのカミヨン打倒に全てのチャンスを傾けようと、チーム・デ・ローイは、2007年大会の優勝者ハンス・スティシーを招いた。
スティシーは既にラリーを引退したかと思われていたが、ヤン・デ・ローイが、カミヨンのドライバーとしてではなく、チームマネージャーとして招聘した。「一人で優勝できない。こうしてチームの体制が完璧になり、ポディウムを取る可能性は大いにある。私達にはすばらしいカミヨンがある、だから優秀なパイロットが必要だ」と1987年の優勝者は語る。
「ジェラルド一人ではカマズやタトラと対等に戦えない。がハンスと一緒になら打倒できる。その為に彼に私達と一緒にやってもらうことした」とヤン・デ・ローイが説明する。

ジェラルド・デ・ローイとハンス・スティシーを合せると、ダカール・ラリーの優勝は4回、他のダカール・ラリー・シリーズでは2回になる。だから、二人がいっしょになったことで、優勝は間違いない、特にハンス・スティシーはカマズを越えられる最後のパイロットなのだ。

このかつてのライバル同士のカップリングは、新しいスポンサーであり伯父のヤン・デ・ローイが手をまわした。
「成功するにはどうしたら良いかを知ることはとても重要だ。伯父が彼と組めと提案した時、僕は自分の本来の走りに戻れると思った。これはまたとない素晴らしい機会だ。どうなるか本当に楽しみだ。我々は夢のチームを作った」とジェラルド・デ・ローイ。

「パイロットに一番目、2番目もない、あるのは、ラリーでどちらが早いかだけだ。いずれにしても、目標はひとつ、2人のパイロットがともかく上のリザルトを目指すことだ。できることなら2台ともポディウムに。優勝への幻想を抱いてはいけない、内部がうまくいっていない競技は優勝路線から外される。2台いっしょに優勝をめざさなくてはならない。」
シルク・ウエィ・ラリーの次大会では、2台目のカミヨンのパイロットはジョー・アデュア(Jo Adua)。

ダカール・ラリーだけでなくシルク・ウェイ・ラリーでKamazのカミヨン打倒に全てのチャンスを傾けようと、チーム・デ・ローイは、2007年大会の優勝者ハンス・スティシーを招いた。
スティシーは既にラリーを引退したかと思われていたが、ヤン・デ・ローイが、カミヨンのドライバーとしてではなく、チームマネージャーとして招聘した。「一人で優勝できない。こうしてチームの体制が完璧になり、ポディウムを取る可能性は大いにある。私達にはすばらしいカミヨンがある、だから優秀なパイロットが必要だ」と1987年の優勝者は語る。
「ジェラルド一人ではカマズやタトラと対等に戦えない。がハンスと一緒になら打倒できる。その為に彼に私達と一緒にやってもらうことした」とヤン・デ・ローイが説明する。

ジェラルド・デ・ローイとハンス・スティシーを合せると、ダカール・ラリーの優勝は4回、他のダカール・ラリー・シリーズでは2回になる。だから、二人がいっしょになったことで、優勝は間違いない、特にハンス・スティシーはカマズを越えられる最後のパイロットなのだ。

このかつてのライバル同士のカップリングは、新しいスポンサーであり伯父のヤン・デ・ローイが手をまわした。
「成功するにはどうしたら良いかを知ることはとても重要だ。伯父が彼と組めと提案した時、僕は自分の本来の走りに戻れると思った。これはまたとない素晴らしい機会だ。どうなるか本当に楽しみだ。我々は夢のチームを作った」とジェラルド・デ・ローイ。

「パイロットに一番目、2番目もない、あるのは、ラリーでどちらが早いかだけだ。いずれにしても、目標はひとつ、2人のパイロットがともかく上のリザルトを目指すことだ。できることなら2台ともポディウムに。優勝への幻想を抱いてはいけない、内部がうまくいっていない競技は優勝路線から外される。2台いっしょに優勝をめざさなくてはならない。」
シルク・ウエィ・ラリーの次大会では、2台目のカミヨンのパイロットはジョー・アデュア(Jo Adua)。

ダカール・ラリー・ワールドツアーは今日はイタリアのミラノにやってきた。多くのダカール・ラリー競技者、とりわけ過去に何度も参加したライダーらが賑やかに席を飾った。
エンデューロでは特にイタリア勢は昔からその才能を示し、ダカール・ラリーでも際立っていた。何度か優勝したことのあるエディ・オリオリ、亡きファブリッツィオ・メオーニなど。イタリアの国旗ポーターとして象徴的な存在のメオーニが亡くなって以来、イタリアのライダーで際立った活躍を見せる者はまだ出てきていないが、アルゼンチンへの参加に興味を示すライダーは少なくない。ルカ・マンカLuca Mancaは2010年大会でリタイアしたが、ダカール・ラリーに向けて着々と準備を進めている、また前大会で肩を骨折してリタイアしたイヴァン・ブアーノIvan BoanoがBetaのマシーンで次大会を目指しているなど、エチエンヌ・ラヴィニュが本人たちから話を聞いた。チーム・アプリリアのリーダー、チャレコことフランシスコ・ロペスがチュニジア・ラリーで転倒、複雑骨折をし、発表会の席で彼への激励のメッセージが伝えられた。

次大会でブエノス・アイレスのスターを予定している競技者には、フランコ・ピコ(Franco Picco)、クワッドのカメリア・リパロティ(Camelia Liparoti)名乗りを上げている。2011年果敢なチャレンジをした2台のフィアット・パンダも2012、ペルーの訪問を楽しみにしている。

ダカール・ラリー2012年大会が南米で新たにペルーに向かう折、ダカール・ラリー総監督のエチエンヌ・ラヴィニュは、ヨーロッパを東に向かう、そう、今日はプラハで発表会が行われた。

プラハはトロフィのコレクション。ダカール・ラリー史でチェコの競技者の活躍は目覚ましい。プラハでの発表会ではその歴史を裏付けるかのように多くのジャーナリストが集まった。クワッドで5度の総合優勝の記録を持つジョセフ・マセチェック(Josef Machacek)は、ここ2年パトロネッリ兄弟にその座を譲っているが、間違いなく次回はタイトルを狙う。
「新しいレギュレーションのシリンダーの制限に適合した、新しいプランを進めている。カテゴリーを変え、バギーのモノ・シートで出るかもしれない。今のところ、フィフティ・フィフティだ」と語る。

一方、前大会2度のSS優勝を果たしたアレス・ロプライス、「来年はさらに良くなるよう全力を尽くす。次回は、2台のカミヨンで出場し、クイックアシスタンス役を果たす。」と語る。アレスの伯父は1988年から2001年まで6回のダカール・ラリー、カミヨン部門の総合優勝を果たしたドライバー、アレスは虎視眈々と伯父のレジェンドを引き継ぐ日を狙う。

ダカール・ラリー一行は昨日、オランダへと移動、ラリーのアマチュア、ジャーナリスト、ドライバー、競技者らと顔を合せた。そこでは、ジェラルド・デ・ローイとの再会が待っていた。

ダカール・ラリー・ワールドツアーはオランダのEindhovenで、2012年大会の発表会が開催され、ダヴィッド・キャステラによって南米での次大会の説明が行われた。160名あまりの関係者が参加。前大会総合16位と目標をわずかに下回ったフランス・ヴェルホーヴェン(Frans Verhoeven)は次回への熱い思いを「南米でダカール・ラリーが行われるようになって、ラリーは年々新しいコースを開拓してきた。僕はペルーでどんな砂漠のステージが待っているのか、次が楽しみだ。」と語る。オート部門では、ダカール・ラリー2011大会で総合11位につけたEric Van Loon、モノ・シートのバギーでダカール・ラリー完走を目指すJurgen Van den Goorberghらが、次大会への参加の名乗りを上げていた。

ダカール・ラリーのカミヨンクラスで名をはせる、ジェラルド・デ・ローイ。前大会では1年ぶりに戻ってきたが、前半の早いリタイアとなった。しかしこの早いリタイアがKamazチームと近づくきっかけとなった。ロシアのKamazチームの宿敵、デ・ローイは、Kamazのメディカル・チームからアドバイスを受け、タタルスタンのNaberezhnye Chelnyのアトリエで10日間滞在したのである。「彼らのストラクチャーに圧倒された」とデ・ローイ、2012年大会でのリベンジを目指す。

ダカール・ラリー・ワールドツアーはベルギーへ。ここに集まった面々は様々な顔を持つ。ステファン・シャリエ(Stéphane Charlier)は名だたるシェフで料理の腕で名をとどろかすライダー、2009大会に参加した。目標は達成できなかったが、情熱はまだ熱くたぎる。そもそも、ベルギーの首都ブリュッセルでの発表会は、彼の店サリコーンで開催された。
シェフはまだ次大会へのプロジェクトを発表していないが、多くの競技者が出場を約束していた。ジャンクリストフ・ホロヴィッツ(Krzysztof Holowczyc ;総合5位)のコ・ドライバーマルク・フォルタン(Jean-Marc Fortin)はベルギー競技者のベスト順位、次大会でも再びホロヴィッツと共に参加を予定している。ステファン・オンラール(Stéphane Henrard)もダカール・ラリー2012大会への参加に向けて、7月のシルク・ウェイ・ラリーでブラッシュアップをかける。発表会に参加した80名あまりの関係者の中には、多くの古参に交じって、未来のライダーらが顔をのぞかせ、ダカール・ラリーの空気を味わっていた。会場には、ペルーのベルギー大使館からCarlos Chavez-Taffur と Osvaldo Del Aguilaが参列。

カタルーニヤの首都、バルセロナで、ダカール・ラリー2012大会の発表会が行われ、多くのトップ競技者らが集まった。
ダカール・ラリー2012年大会について昨日、マール・デル・プラタで発表になったばかりだが、ダカール・ラリー・ワールドツアーの皮切り、バルセロナでの発表会には130名もの関係者が集まり、ダヴィッド・キャステラの説明を熱心に聞き入っていた。
大会3度優勝、そして次大会でチャンピョンのディフェンディングを目指すマルク・コーマ、前大会トップ10に入ったホアン・ペドレーロ(Juan Pedrero :5位)や ジョルディ・ヴィラドムス(Jordi Viladoms :10位)らも姿を見せていた。ライア・サンス(Laia Sanz)はトライアルのヨーロッパ・チャンピョンシップのイタリア大会に参加し女性部門で優勝し、喝采を受けた。オート部門では2010,2011大会でカルロス・サインツのナビを務めたルカ・クルーズ(Lucas Cruz)も注目を浴びる。ナニ・ローマ(Nani Roma)は、多くのジャーナリストに取り巻かれ、次大会で、トップを狙える車で出場を約束していた。

ダカール・ラリーの南米で4度目の大会は、2012年1月1日、アルゼンチンのマール・デル・プラタ(Mar del Plata)がスタートとなる。同地がラリーのホスト地となるのは初めて。

南米では夏の真っ盛り、リゾート海岸マール・デル・プラタにはブエノス・アイレスッ子で溢れかえる。それだけではなく、国中からに多くのツーリストが押し寄せる。ダカール・ラリーは、これまで3回にわたってブエノス・アイレスをスタート地としてきたが、ブエノス・アイレスッ子ならって、マール・デル・プラタにスタート地を移したいと思う。マール・デル・プラタはブエノス・アイレスから約400km南の海岸で、ここから競技者たちは、リマに向かってスタートすることになる。昨夜、ここマール・デル・プラタの海に面したホテルで、公式の発表会が開催され、2012年大会のアルゼンチンのホスト都市が発表になった。マール・デル・プラタをスタートした後、サンタローサ・デ・ラパンパ、サン・ラファエル、サン・ホアン、チレシト、フィアンバラの5つがビバーク地となる。

会場にはアルゼンチンの多くのラリー関係者が集まり、ダカール・ラリームードで盛り上がった。前大会、スタート直後から素晴らしい成績だったにもかかわらず、早々とリタイアしたオーランド・テラノヴァ(Orlando Terranova)は1月の大会が終わってわずか数カ月、既に次の目標に向かって集中しているようだ。
前々大会、前大会と続いてクワッド部門で優勝したパトロネッリ兄弟にも重くプレッシャーがのしかかる。また、前大会で総合19位、アルゼンチンのトップ・ライダー、ハヴィエル・ピゾリトもさらなる上位を目指す。会場では、アルゼンチン大統領、クリスチナ・キルシュネール(Mme Cristina Kirchner)から、先週に応援メッセージが寄せられた。